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12月29日。熊野古道をあるいたあと、滋賀県日野町を訪れました。 日野は古くから賑わっていましたが、1582年に日野城主だった蒲生氏郷が日野を楽市楽座に定めたため、さらに賑わいを増したそうです。(信長による安土の楽市楽座は1577年なので、その5年後です) うろうろしていたら夕刻になってしまいました。 |
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12月30日。昨日は途中で陽が暮れてしまったので、翌朝もういちど日野を訪れました。 蒲生氏郷は、最初は伊勢へ、その後会津へ国替し大大名になっていきました。日野商人は、会津まで商いに出るようになったのが、日野商人の始まりだそうです。 日野商人館には、天秤棒を担いだ近江商人の写真が飾られていました。 |
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綿向山 山頂には綿向神社の奥の宮が祀られています。古来より20年毎に社殿を建て替える祭事が続けられています。 |
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綿向神社 日野の領主、蒲生氏の氏神として庇護されました。また、江戸時代には日野商人の財力に支えられたそうです。 |
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五個荘町の金堂地区を訪ねました。 舟板塀と白壁の土蔵が続き、近江商人の宏壮な大屋敷ばかりであることに司馬さんは驚いたそうです。 |
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近江八幡 八幡堀 豊臣秀吉の甥である秀次は琵琶湖畔の八幡山に城を築きました。築城には安土城の一部を利用し、城下町形成にあたっては琵琶湖に通じる水路を掘りました。 |
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続いて安土城趾へ とても有名なわりには観光的施設はいっさいありません。199mの山を登っていくと、石段や石塁があらわれます。さらに曲折しながら登っていくと天守閣跡に辿り着きました。 昔は琵琶湖や近江平野を見渡せたそうですが、今は眺望は効きませんでした。 駐車場に戻ってきたら夕暮れ。今日は南彦根のスーパーホテルに泊ることにしました。 |
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12月31日。大晦日の朝起きて国宝彦根城へ。 司馬さんは、照明をうけた夜の天守閣を見て、ときめくほどに感動したそうです。維新のときに、明治天皇が彦根城だけはぜひ残せといったので残されたそうです。 |
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琵琶湖東岸を北上し姉川の古戦場へ。 足利義昭を奉じ上洛した信長は越前朝倉氏を討とうとしましたが、盟友浅井長政が朝倉方についたため、命からがら京へ逃げました。 その2ヵ月後、信長と浅井長政の姉川合戦が起こりました。 |
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姉川古戦場の石碑 信長は徳川軍の活躍によってこの合戦をものにしましたが、浅井・朝倉軍1700、織田・徳川軍800の死者の血が川を赤く染めたといいます。 |
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続いて国友村にある国友源重郎商店へ。 ポルトガル人により鉄砲が種子島に伝来した翌年、国友村で、初めての鉄砲が作られました。 その後の国友村は、信長、秀吉、家康の加護を受け、江戸時代になると幕府直轄の鉄砲工場地域となったそうです。 |
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天文十三年創業 鉄砲火薬商 国友源重郎商店 とあります。司馬さんも驚いたように、鉄砲伝来の翌年の創業です。 |
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いったん米原に出て、国道21号を東へ進み、柏原を訪ねました。 国道を離れて旧道を進むと江戸時代の風情を残した町並みが続いています。江戸時代には、この宿場に十数軒のもぐさ屋が並んでいたそうです。 そのなかでも亀屋左京家はただ一軒、中仙道に面して残っています。 |
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柏原から旧街道を東へ進みました。 寝物語の里 近江と美濃の民家の境に溝のような川が流れていました。 川を渡ると美濃の国、岐阜県です。緩い坂を下ると関所跡がありました。 国道21号から標識に従って左へ折れ、関が原古戦場の史跡公園に立ち寄ったあと、関が原ICから高速に乗って帰路につきました。 |
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