高野山みち
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 南海電車の九度山駅近くにある慈尊院は、弘法大師が高野山の表玄関として政所を置いたのが発祥だそうです。以前は高野山は女人禁制だったため、麓にある慈尊院が「女人高野」として親しまれてきましたそうです。本堂には安産祈願の布製のおっぱいが数多く奉納されていました。
 高野山へ参拝する人を先導してくれるゴンちゃんという先達犬で有名でしたが、残念ながら平成14年初夏に亡くなりました。
 高野山へ登るには、高野街道西口、京街道不動坂口、竜神街道湯川口、熊野街道相浦口、同大滝口、大峰街道東口、大和街道粉撞口と七つあったそうです。
 このうちの慈尊院から登る高野街道西口は、町石道とよばれています。
 慈尊院から町石道を約20km、山上の大門に到着します。
 大塔

 塔の内部は立体曼荼羅の世界でした。
 一の橋から奥の院へ続く参道の両脇には織田、豊臣、前田、島津、伊達などなど戦国武将の大きな墓石が並んでいます。なかには石田三成もあったりして、敵味方の区別がないです。
 玉川にかかる御廟橋を渡ると弘法大師の眠る奥の院。この橋から奥は撮影禁止なので写真はここまでです。
 帰りはケーブルカーで極楽橋まで下り、南海電車に乗り変えて大阪難波に出ました。
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